人に嫌われること好かれること
友達と久しぶりに話をした。
”友達”だと認識しているくせに久しぶりだと最初の20分くらいは緊張している。
そんな時は大体ただ黙っている。
悪くない。
少しの緊張感と少しの安心感、ただぼんやりと雲を見ているのと似たような感覚になる。
嫌いじゃない。
思えばそろそろ6年ほどの付き合いになる。
お互いにそれぞれの時間を歩んで、時おり駅で会い立ち話をするかのようにそれぞの時間の中に顔をのぞかせた。
その都度、あーだこーだ言って、変わっただの変わってないだのの話をする。
互いに綺麗なところばかりではないことを知っていると思っている。
それでもこうも時おり交差しながら同じ世界の違う時間を進んでいるということは、きっと大事な部分というのはまだ同じなのかもしれない。
人が人と出会い、別れることは、磁石や交差する線のように例えられるけれど、きっといまだ友だと呼べる人たちとは螺旋のような形で交わっているのだと思った。
磁石のように惹かれあったのちに、反発し嫌われることは、堪える。
鉄ではないはずの何かが反発した方へ持っていかれるのだ。